痩せた心、自由な魂
ユダヤの教えに、「人にしてもらいたくないことを、行ってはならない」というものがあります。

二千年前に登場したヨシュアという青年は、それを一歩進めてこう言いました。「自分がして欲しいと思うことを、その人にも行いなさい」と。ヨシュアというのは、今で言うイエスのことです。ホセアとも言われています。「神は救い」という意味です。

ポロを譲って欲しいと思っている人がいるのに、これはぼくの物だから、とポロ助に固執する自分を情けなく思います。痩せっぽちの心です。心豊かな人は、与えることを喜びとする魂の持ち主のことです。ぼくは、真似事でも良いから、こだわりのない姿勢で生きて行きたいと願っています。物にも、人間関係にも、仕事に対しても。

赤いクルマに乗りたいのは、血の色だからです。イエスの十字架の血で守られている気がするからです。ゴルフも赤じゃないと乗りたくない。でも、それすら奇妙なこだわりなのかも知れません。

人間は計算高く、自分の利には敏感ですが、人の得することには鈍感です。特にぼくはそうなのです。
ポロが来てから、駐車場に収まる姿を見て、神様に感謝をしない日は一日たりともありません。神の恵みにただただ圧倒され、感謝するより他ないのです。
P助の乗っている赤で丸目のポロを欲しがっている人は、恐らく、本当に欲しいんだと思います。その思いを、自分の満足のためだけに退けるようなことは、恥ずべきことのように思えてくるのです。与える力のある者は、欲しいという者を断ってはならない、という意味の言葉も、古い書物に書かれています。

もし本当にポロが欲しいという人が存在するのなら、ぼくはノーチョイスとなります。信じていることを行わなければなりません。
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コメント
はじめまして。ぼぶと申します。
もし望まれて行くのであればポロ助も幸せではないでしょうか。
いつか売却し、買い手がなくお店にポツンと置かれるほうがかわいそうな気もします。
欲しい方がポロ助と出会うのも運命、今後p助さんが現行ポロやゴルフと出会うのもそれは運命だと思います。
ふと感じたので通りすがりながら書き込みさせていただきました。
色々悩むことが多いと思いますが頑張ってくださいね。
失礼しました。
投稿者: ぼぶ | 2007年10月10日 11:04
ぼぶさん、こんにちは、コメントありがとうございます。
そうですね。お店にポツネンと置き去りにされるポロ助を想像するのは辛いことです。もうそろそろ、悩むことも終わりにしたいと思います。
投稿者: P助 | 2007年10月10日 19:57
Poloを手放したとき、家族の誰かが悲しむだろうと想像出来たら、それはきっと「まだ早い」という事なのではないしょうか。
…という事が、今日、P助さんの以前blogを読んでいたら何となく浮かびました。
勝手な意見でスミマセン。
投稿者: たくぞう | 2007年10月11日 00:48
たくぞうさん
ポロを手放して心を痛めるのは、自分くらいでしょうね、笑。子どもたちはミニバンのような大きなクルマに乗ってみたい、と言いますし、妻は、あなたの気にいったものを、と言ってくれています。前のブログのことは忘れてくださいませ、恥ずかしいですので。
投稿者: P助 | 2007年10月11日 13:23